コロナ騒動の備忘録

思ったことを色々と。主にコロナ騒動について。

後悔していること

 

このコロナ騒ぎで後悔してもしきれないことがある。それはコロナワクチンを3回も接種したことだ。

自分はマスクを始めとした感染対策には明確におかしいと違和感を抱いてきたが、ワクチンに関しては無頓着すぎた。

そもそもこのコロナワクチンに対して疑念を抱き始めたのが2022年4月頃。

そのきっかけが感染対策への不満を持つ人と繋がりたいと思い始めたTwitterだった。

 

その界隈では自分と同じ想いや危機感、ストレスを抱いている人達が情報を発信したり、コミュニティを作ってリアルでは言えない愚痴や悩みを共有したりしていた。

 

その中で当然ワクチンの話題にも触れる人は多く、自発的に情報収集しなければ日常生活では知ることのできなかったワクチンに関する情報が流れてきた。

日本どころか世界中で構築されていた「ワクチン安全神話」、それがこの界隈では一刀両断され、論理的に批判されていた。

彼らのツイートがきっかけで、自分もようやくコロナワクチンがいかに従来の生ワクチンや不活化ワクチンなどと異なるか、そしていかにそれが未知で危険を孕んでいるか理解した。(次の記事でコロナワクチンについて詳しく見ていく)

 

しかし時既に遅し。コロナワクチンのことを理解する前に追加接種1回目、つまり3回目の接種を終えてしまっていた。

 

なぜ接種するという決断に至ったのか、それは自分がテレビや新聞などのメディアが発信する情報を疑うことをせず、盲信的になってしまったからだと思う。

 

また、3回以上打たないと生活のあらゆる場面で不自由を強いられるという噂も頭の隅にあったかもしれない。

 

そもそもワクチン接種は任意である。そして通常10年はかかる治験が一年もかからず驚異的なスピードで実用化された。危険性という面で見ても、一般の人・有名人問わず強い副反応により、重い後遺症が残ったり、最悪の場合死に至ったりするというニュースが少しずつ耳に入るようになった。

 

職場でしつこく接種するよう言われていたということもあるが、それでも結局打つという最終的な決断を下したのは紛れもなく自分。言い逃れはできない。

 

コロナワクチンによる長期的な副反応、後遺症については全くもって未知である。

mRNAワクチンという人類にとって未知で新しいワクチンが今後、私達の体に猛威を振るわないとは限らないのだ。しかしだからと言って悲観的になりすぎる必要はない。

 

人間の体には恒常性があり、異常があっても元に戻ろうとする性質がある。

今後大切なのはすぐに薬やワクチンに飛びつかず、基本的な生活の中で食、運動、睡眠という当たり前の行動を通して免疫を高めていくことではないだろうか。

 

今でも自分はコロナワクチンを接種した事に対して自責の念に駆られることがある。しかしもう接種前には戻ることはできない。割り切ることができる日が来るのか分からないが、今回このような教訓を得ることが出来たのは肯定的に捉えて良いだろう。

 

同じ失敗を繰り返さない。これが何よりも大事だと思う。

 

また、ワクチン以外にも後悔していることはある。それは、2022年の夏くらいまで周囲の人からの視線を気にして感染対策に関して思っていることを自分の中に留めたり、友人に会う時に忖度マスクを着けていたことだ。

 

当時は少しでも感染対策に対して批判的な言動をとると叩かれる風潮があった。その世の中の空気に負けて「感染対策に思っていることを打ち明けて嫌われたくない」という気持ちがあったことは否めない。

自身の思っていることを貫くことができなかった。主体的に生きることができず自分の人生を生きていなかった。

この過去を振り返るだけで自分が嫌になる。

これからは主体的に生きたい。