コロナ騒動の備忘録

思ったことを色々と。主にコロナ騒動について。

死について

希望を持てないこの人間社会。自分もいつの間にか家と職場をただ往復するだけの日々を送っていた。変わり映えしない終わりの無い毎日の繰り返しは人を殺すことさえある。その中で自殺は常に「良くないこと」として扱われ、その決断をしようとすると「命を粗末にするな!」と叩く人が現れるのはもうお決まりだろう。でも恐らく自ら命を断つのが良くない理由を誰も論理的に説明できない。周りを悲しませるから?命は大事だから?いずれも説明になってない。

自分は「自殺という選択肢があるということを自覚すること」がこの変わり映えしない繰り返しの毎日に適応できる素晴らしい手段であると思う。たとえ人生において何か良いことがあったとしてその喜びが延々と続くわけではない。労働を続けなければならない限り、変わり映えしない日々の繰り返しによる苦しみは無くならない。「いつ終わるのだろう」と考え続けるのと「いつでも自ら終わらせて良いんだ」と考えるの、どちらが楽かと考えたら私は後者だと思う。

私は労働が単なる繰り返しであると気付いた時に途方もない絶望感を抱いた。この地獄はいつ終わるのだろうと。でもいざいつ辞めるか確定したら一気に気が楽になった。その日までとりあえず頑張ればいいと思えば、絶望しながら進めていた業務もいつもより丁寧に出来たし、周りとのコミュニケーションも多少は増えた気がする。大嫌いだったお局とさえなるべく仲良くしようと努力できた。終わりを意識できればある程度そこに向けて頑張れるのである。

だからこそ、本当に人生にどうしようもなく絶望しているのなら本気で自殺のことを考えて、いつでもこの苦しみから解放されることが出来るんだ、ということを自分の中で認識するのは悪いことではないと思う。

生きる権利があるのだとしたら死ぬ権利だってあるはずだと思う。自分の死に関して本来は他人にどうこう言われるものではない。これまで述べてきた死に関しての認識が社会で共有されたら今よりも生きやすい世の中になるのではと思う。