死について
希望を持てないこの人間社会。自分もいつの間にか家と職場をただ往復するだけの日々を送っていた。変わり映えしない終わりの無い毎日の繰り返しは人を殺すことさえある。その中で自殺は常に「良くないこと」として扱われ、その決断をしようとすると「命を粗末にするな!」と叩く人が現れるのはもうお決まりだろう。でも恐らく自ら命を断つのが良くない理由を誰も論理的に説明できない。周りを悲しませるから?命は大事だから?いずれも説明になってない。
自分は「自殺という選択肢があるということを自覚すること」がこの変わり映えしない繰り返しの毎日に適応できる素晴らしい手段であると思う。たとえ人生において何か良いことがあったとしてその喜びが延々と続くわけではない。労働を続けなければならない限り、変わり映えしない日々の繰り返しによる苦しみは無くならない。「いつ終わるのだろう」と考え続けるのと「いつでも自ら終わらせて良いんだ」と考えるの、どちらが楽かと考えたら私は後者だと思う。
私は労働が単なる繰り返しであると気付いた時に途方もない絶望感を抱いた。この地獄はいつ終わるのだろうと。でもいざいつ辞めるか確定したら一気に気が楽になった。その日までとりあえず頑張ればいいと思えば、絶望しながら進めていた業務もいつもより丁寧に出来たし、周りとのコミュニケーションも多少は増えた気がする。大嫌いだったお局とさえなるべく仲良くしようと努力できた。終わりを意識できればある程度そこに向けて頑張れるのである。
だからこそ、本当に人生にどうしようもなく絶望しているのなら本気で自殺のことを考えて、いつでもこの苦しみから解放されることが出来るんだ、ということを自分の中で認識するのは悪いことではないと思う。
生きる権利があるのだとしたら死ぬ権利だってあるはずだと思う。自分の死に関して本来は他人にどうこう言われるものではない。これまで述べてきた死に関しての認識が社会で共有されたら今よりも生きやすい世の中になるのではと思う。
ツールと化した感染対策
2019年まで人類は感染症を「正しく恐れる」ことが現在と比べても比較的できていた。極度に高い致死率を有する感染症に対しては効果的なワクチンを接種し、そこまで脅威ではないとされる感染症に対しては基本的な生活の中で免疫力を高めていきましょう、と呼びかけがされて適切に対処してきたと思う。
しかし、2020年になってから状況は一変した。まるでコロナウイルスが恐怖の殺人ウイルスであるかのように感染対策の重要性が叫ばれるようになり、それに従わない者は社会から排除されてきた。「感染対策のため」とさえ言えばどんなに理不尽な事でも他者に強制できた騒動だった。
その中で感染対策というものが今までには無い新たな性質を持つようになった。感染対策には人々をコントロールする力があるという性質だ。多くの世界の権力者たちがその性質に気が付いただろう。「感染対策のためにワクチンを打て」「感染対策のために家に引きこもれ」「感染対策のためにマスクを着けろ」こうやって人々に何かを強制したり、行動を制限することが感染対策の名の下で当たり前に行われてきた。このような状況で得をする一部の人達がいる限りこの”感染症煽り”は終わらないだろう。感染対策はツールへと成り変わったのである。
この視点を持てるか持てないかで人々の今後の主体性が大きく変わってくると思う。「たかが感染対策なんだから素直に従えばいいじゃん」私はこのようなことをネット上や職場などで何度も言われてきたわけだが、このコロナ騒動の本質はそんな浅いものではない。私はどんな社会でも主体性だけは絶対に失わずに生きていきたい。コロナ騒動でそう強く思うようになった。
ノバクジョコビッチが教えてくれたこと。
ノバクジョコビッチ。誰もが知るセルビアのプロテニス選手。自分は大のテニスファンというわけではないが、この騒動を通して彼のトップアスリート、そして人間としての考え方に惹かれた。
ジョコビッチは2022年の全豪オープン、全米オープンでコロナワクチン未接種という理由で大会に出場できなかった。正確には全豪オープンでは選手のワクチン接種義務が発表された後に彼は大会側からコロナワクチン接種義務の医学的免除を受けたそうだが、オーストラリアに入国する際にビザを取り消され、強制帰国を余儀なくされた。同様にアメリカでも入国を拒否され、大会への出場は叶わなかった。
彼は自身の身体のことを第一に考えコロナワクチン接種をしないという選択をとっている。以下が彼の残してきたコロナワクチン接種に関してのコメントの一部である。
「ワクチンのことだけじゃない。生きることの全てで個人には選択の自由がある。それが豊かで幸せな人生に必要不可欠なものだと思うから。」(1)
「自分にとっては、心身共に健康を保ち続けることが重要だ。そうすれば長くプレーできるし、出場のチャンスは必ず訪れる。」(2)
「自分の体について自分で決定するという原則は、どんなタイトルよりも、何よりも大事だからだ。私はできる限り、自分の体に合うことをしている。」(3)
(1) Number Web, ナダル「接種すればいいだけのこと」…大騒動化してもなぜジョコビッチはワクチン接種を拒否し続けるのか?(2023/8/24閲覧)
(2)AFPBB News, ジョコビッチ、全米OP出場は可能性薄も「希望は永遠に湧き出る」(2023/8/24閲覧)
(3)ジョコヴィッチ選手、「代償を払う用意がある」ワクチン強制なら今後の大会も欠場, https://youtu.be/evLelV6tTUw(2023/8/24閲覧)
どれも至極真っ当な主張だと思う。これらの主張に対しては世界中から大バッシングが飛んできた。「反ワク」「陰謀論者」などとレッテルを貼られ、馬鹿にされ、メディアもこぞって彼に対する否定的な記事を発信した。本来ワクチンを接種するもしないも自由であるべきだし、自分の体が商売道具であるプロスポーツ選手なら特に接種には慎重になるだろう。ジョコビッチはただアスリートとしてあるべき姿を貫いたに過ぎない。
実際にコロナワクチンに関してはその負の側面が隠され、効果だけが強調されてきた。それに異を唱える者は有無を言わせず批判され、言論の自由など無いに等しかった。そして接種しないという決断をする者には当たり前のように差別があったし、様々な権利を剥奪されてきた。その中でジョコビッチも当然の如く叩かれた。
この世界中からのコロナワクチン接種の同調圧力にジョコビッチは最後まで耐えきった。オーストラリアは2022年7月3日に入国の際のコロナワクチン接種義務を撤廃。この決定によりジョコビッチは今年の全豪オープンに2年振りに出場し、見事優勝を飾っている。同様にアメリカでも今年の5月11日から入国の際のコロナワクチンの接種証明が不要になり、8月28日からの全米オープンに彼は出場できる見通しとなっている。
mRNAワクチンという人類にとって初の試みであり、10年は必要な治験も1年も行われず驚異的なスピードで実践投入された”正体不明”のワクチンを接種しないという考えは何もアスリートだけではなく一般の人も持つべき考えだとコロナ騒ぎを通して自分も思うようになった。「専門家や医者が言っているから」「周りが打っているから」ではなく、自分の身体に関する選択は自分でする。その当たり前のことがこの数年間は否定されてきた。その当たり前を以前より強く意識して人類は今後生きていくべきではないかと思う。
仕事辞めてきた
マスク着用を始めとした感染対策の強制が嫌で仕事を辞めてきた(一応それ以外にも理由はあるけど)
5類移行後も相変わらず「マスク着けろ」「消毒しろ」「検温しろ」「始業前に体温を記入しろ」「有症状者は積極的に検査受けろ」と感染対策を押し付けられる生活を続けてきてもう限界だった。
自分はコロナに感染しないために生きているわけではない。ただ人として当たり前の生活を送りたいだけ。マスクで口と鼻を塞がれ、毎日のように「苦しい苦しい」と心の中で繰り返し、人目につかない場所に行ってマスクを外し深々と何度も深呼吸。そうやって何とかやり過ごしてきた。
でもそんな生活に意味はあるのか。1日の約3分の1を感染対策に費やし、ストレスを溜め続けるくらいならそんな仕事は辞める。
この3年間、何度か身近な人の死を経験してきた。その中には自分より年下の人も含まれる。人はいつ死ぬか分からない。その現実を突きつけられてきた。それを理解した上でこれ以上感染対策に人生を捧げるようなことはしたくなかった。自分の人生は自分で生きる。それだけのこと。
自分だってもしかしたら明日何らかの理由で死ぬかもしれない。だからこそ悔いなく生きたい。
思考停止から脱却しませんか?
コロナに感染したら人生終了なのか?
数年に一回感染するかどうかの風邪を予防するために365日マスクを欠かさず着け続ける意味って何?そもそも予防出来てないし。
失った物の大きさを考えたことのある日本人はどのくらいいるのだろう。
もういい加減止めないか?
未だに街はマスク姿の人で溢れかえっている
何で?何のため?
顔を見られるのが恥ずかしい?まだウイルスが怖い?
日本人は自分の頭で考えないと。
職場での感染対策の強制も本当に鬱陶しい。
思考停止の人ばかり。
8時間もマスク着け続けることを強制されるの本当苦しい。
早く仕事辞めたい。この国を出たい。
今までやってきた感染対策に意味があったのか。強制が正しかったのか。
日本人は考えて反省して次に活かさないと。
絶対に同じ過ちを繰り返してはいけない。
マスク着用の弊害
そのマスク、いい加減外しませんか?
コロナが5類に分類された2023/5/8以降も街はマスク姿の人で溢れていてこれまでと大差無い光景が広がっている。
私はこの光景に強く危機感を抱いている。
だから積極的に「マスクを外しませんか?」と訴えていきたい。
「好きでマスクを着けているのだから口出しするな!」とマスク愛好家の皆さんからは怒られるかもしれない。しかし、マスク社会を続けることには大きな弊害があると考えるから危機感を拭いきれないのだ。
そのマスク着用による弊害を一つずつ見ていく。
1.子供の発達の阻害
2.マスク依存の国民の大量生産
3.自然環境への負荷
4.日本文化になりつつあること
5.自然免疫を弱めているかもしれないこと
6.犯罪の助長の可能性
1.子供の発達の阻害
子供がマスクを着けている場面を見てきて本当に日本の将来が心配になった。
まず、マスクを着けていたらわかると思うが単純に息苦しい。それを四六時中子供に強い続けたら酸素不足による脳の発達への悪影響が出ていてもおかしくない。
また、相手の顔半分が見えないことにより、特に小さな子供にとって他者の表情を学ぶ機会がこの3年間で大幅に奪われてきた。「家庭で親の素顔を見て表情を学べているから問題ない!」と言い張る人もいるが、子供は家庭のみならず社会の様々な他者と密接に関わりを持ちながら成長していく。その中で他者の表情が見えないというのは彼らにとって大きなデメリットであると言える。将来的に何も影響が無ければまだ良いのだが、もし今の子供が大人になり、何らかの問題が彼らに一斉に現れ始めたら誰が責任を取るのだろう。一人一人の人生がかかっているのだから軽く考えてはいけない問題だ。「子供が着けたくて着けているんだ!」と主張する人もいる。しかしマスクを着ける社会を当たり前と認識してしまった子供の意識を少しずつ変えると言う意味でも「そのマスク、頑張って外してみない?」と子供に促していくのは大切だと思う。
2.マスク依存の国民の大量生産
今もマスクを着けている人の多くは既にマスク依存に陥ってしまっているのではないか?
コンビニに入る時もマスク、野球観戦の時もマスク、1人での車の運転中もマスク、外を歩いている時もマスク、地下鉄やバスでもマスク...
なぜ多くの日本人はマスクを着け続けるのか。
ほとんどの日本人にとって既に「コロナは恐ろしいウイルス」というのは過去の話。まだ恐ろしいと言うのならそれこそ気軽に外出できないだろう。
それでいて既にマスク着用は基本的にどの場面でも任意である。(いまだに強制している店や施設はあるようだが)
しかしそれでも大多数の日本人はマスクを外さない。まるで強迫観念にでも囚われているかのように。
これをマスク依存だと言わず何と言おう。この3年のマスク強制によって多くの日本人はそのような精神病を患ってしまった。
3.自然環境への負荷
あまりこの観点でマスク問題を捉えている人は多くないのではないか。マスクの大量生産大量廃棄によってとてつもない環境負荷が発生してきたことだろう。更にこの3年で道端にマスクがポイ捨てされている光景も当たり前になった。
そのマスクは最終的にどこに辿り着くだろう。誰かが拾ってゴミ箱に捨てなければ自然界まで流れ着いて海や森に解き放たれる。そこに問題意識を持てなかったのがこの3年の日本人。
4.日本文化になりつつあること
「いつでもどこでもマスク」のユニバーサルマスクの考えが普及し、もうこれは文化になってしまったと言ってもいい気がする。普段マスクを着けない外国人も日本に入国したらマスク姿。逆に普段マスクを四六時中着けている日本人が海外に行くとノーマスク。特に後者はサッカーW杯やWBCで顕著に見られた傾向だ。
自分の国の文化を外国人に紹介する場面があったとして、「日本の文化としてマスク着用が挙げられます」と堂々と言えるだろうか?自分ならそんなことに日本人としてのアイデンティティを感じたくないし、マスク着用が文化だとは認めたくない。しかしそのような実態になってしまっているのが現状だ。
5.自然免疫を弱めているかもしれないこと
マスク着用は逆に自分の免疫を弱めていないか。本来人はウイルスに感染してそれで免疫を付けていく。でもマスク着用によりそもそもウイルスを体に入れないようにしていては本来獲得できたはずの免疫を獲得できない(そもそもマスクに感染防止の効果があったかは甚だ疑念は残るが)。
さらに恒常的な酸素不足による免疫低下も考えられる。私は職場では常にマスク着用を強制されているが、やはりマスクを着けていると「苦しい」と感じるし、それによって余計な体力が削られている感覚はある。
6.犯罪の助長の可能性
最後に犯罪の助長である。今や当たり前になってしまった国民総マスク社会、2020年以前にこの光景を見たら誰もが異様に感じただろう。
その中で犯罪者にとって生きやすい社会が作られたと言っても良いのではないか?
自分の顔を隠すのが普通の社会なのだから自分の顔を隠しても全く怪しまれない。この3年間、見逃してはならない犯罪も見逃されている可能性は大いにあるのではないか。
このようにマスク着用には多くの弊害がある。
今まで考えてこなかった人は是非これらの弊害についてよく考えて、マスク社会を続けることは本当に正しいのか考えてほしい。
コロナワクチンについて考えよう
コロナワクチン接種者の内、自主的にその特徴や危険性/安全性についてよく調べた上で個人の判断で接種したという人はどのくらいいるのだろう。
コロナワクチンを2回接種した人は日本国内では8割を超える。そもそも前提としてワクチン接種をお願い・強制するには少なくとも
- コロナウイルス感染による重症化率、致死率が高いこと
- ワクチンの効果や安全性が科学的に立証されていること
この2つの条件が欠かせないだろう。
では現実はどうか。
【重症化率・致死率】
1のコロナ感染による重症化率・致死率に関して見てみると、
財務省資料(https://www.mof.go.jp)より
オミクロン株が主流になってからは完全に今やコロナはインフル以下の重症化率、致死率のウイルスとなっている。その事実を国が認め、このように資料として発表している。この情報を知らない国民が多いのではないだろうか。
【コロナワクチンとはどういうワクチン?】
2のワクチンの効果や安全性に関して見る前にそもそもコロナワクチンとはどのようなワクチンなのか見てみよう。
コロナワクチンの種類はmRNAワクチン(メッセンジャーRNAワクチン)であり、従来の生ワクチンや不活化ワクチンなどとは全くの別物である。
コロナウイルスには遺伝情報である ”mRNA” が存在し、それを脂質の膜に包んだものがmRNAワクチンである。
埼玉工業大学工学部生命環境科学科HP(新型コロナワクチンと免疫のしくみ (sit.ac.jp))より
具体的にどのように効果を発揮するかと言われているかというと、まずウイルスの遺伝情報入りのワクチンを体内に注入する。すると、その遺伝情報(mRNA)を元に体内でコロナウイルスと同じスパイクタンパク質が複製される。
(スパイクたんぱく質...コロナウイルスの表面に存在するトゲ状のタンパク質。これによりウイルスが人の細胞内に侵入できる)
このスパイクタンパク質に対する抗体を体に作らせることでコロナウイルスに対する効果を発揮するというわけだ。
つまり、そのスパイクたんぱく質を体内に大量に作り出すのがコロナワクチン。これをコロナワクチン接種後に初めて知った際、恐怖を覚えた。このスパイクたんぱく質が体内で様々な悪さをして体に不調をきたしているかもしれないという話もある。
また、このコロナワクチンでは通常10年ほどはかかる治験が1年もかからず驚異的なスピードで実用化された。コロナの世界的感染拡大という状況に一刻も早く対応したい、という気持ちがあったとしても安全性の保証ができていない時点で本当に実用化してよかったのか?何せ人類にとって初のワクチンである。慎重に安全性を検証していくことが本来は必要だろう。
【コロナワクチンの効果】
コロナワクチンが今までのワクチンとは大きく異なるものだということを理解した上で、2.ワクチンの効果や安全性が科学的に立証されていること について見ていく。
そもそもコロナワクチンに効果はあったのだろうか。当初、政府や専門家は「全国民の7~8割がコロナワクチンを2回接種すれば集団免疫を獲得し、感染は収束に向かう」との考えを示してワクチン接種を推し進めてきた。2022年4月22日に首相官邸から公開された動画では岸田首相がワクチンには「感染そのものを防ぐ効果」があるとはっきり述べている。
首相官邸公式YouTubeより (https://www.youtube.com/watch?v=C_jm9vGX1sc )
しかし実際には3回目、4回目、5回目と追加接種が行われ、陽性者の波を抑えることができなかった。それどころかワクチンを接種し始めてからの方が陽性者も死者も増えている現状にも目を向けなければならない。
本当にコロナワクチンに「感染予防効果」「重症化予防効果」「死亡予防効果」があるのならば陽性や死亡の波は存在せずにとうの昔に感染の波など収束しているだろう。この政府や専門家の言説をデマと言わず何というのか教えてほしい。彼らの言葉に騙されて接種する必要のないコロナワクチンを接種して後遺症に苦しんだり、身近な人が死亡したなんて例も多いだろう。嘘の情報によって接種を促した彼らの責任は追求されるべきだと思う。
【ワクチンによる被害について】
2023年4月28日の政府の分科会で発表されたコロナワクチンでの死者は2070人001092256.pdf (mhlw.go.jp)。政府や専門家はその現状の評価として「ワクチンの接種体制に影響を与える重大な懸念は認められないとしてよい」としている。
ここで更に考えなければならないことが、これまで報告されているコロナワクチンによる死者は氷山の一角に過ぎないということだ。実際にワクチン接種後の死亡でも「因果関係が認められない」と一蹴され、やり切れない想いを抱えている遺族の方も多数いるだろう。ワクチン推進側が接種後の死亡や副反応を認めたくないのは当然。責任を追及されたくはないから。
個人的にはコロナワクチンは今までで最大の薬害を社会にもたらしたと言い切って良いと思っている。それは次の【謎の超過死亡】にも繋がってくる。
【謎の超過死亡】
コロナ騒動でよく聞いた言葉の一つに「超過死亡」がある。予測されていた死者数よりも実際の死者数が多い場合、その多い分は超過死亡としてカウントされる。ワクチン接種が始まった2021年は5万人以上、2022年は11万人以上の人が例年に比べて死んでいるのだ。ここ数年の超過死亡を見て思うこと、それは「コロナワクチンを打ち始めてから異常に人が死んでないか?」ということだ。「ここ数年死亡者が多いのはコロナウイルスによるものだ!」という主張もある。しかし、コロナ感染による死者はこの3年間日本では約7万人とされている。それよりも遥かに多い数の人がこの3年間で死んでいるのである。残りの9万人は何故死んだのか?ちなみに東日本大震災での死者数は約1万5900人である。
この3年間、この国で一度でも東日本大震災の何倍もの規模の大災害が起きただろうか?
いま日本ではとんでもないことが起きている。その原因を究明しなければならない。
更にどんな死因であっても死後の検査で陽性が確認されたら「コロナ死」とカウントされてきた事実もある。実際はもっとコロナによる死亡は少ないだろう。個人的に衝撃を受けたニュースが、高い場所からの転落後に検査を実施した結果陽性だったため「コロナ死」としてカウントされた例。これに対しておかしいと思わない人はいないだろう。
コロナでホテル療養中、男性が転落死 沖縄県が原因調査 - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト (ryukyushimpo.jp)。
コロナ下3年の死、都市より地方で拡大 循環器の病気や老衰の死因増:朝日新聞デジタル (asahi.com)
下のグラフは2017年から2023年1月までの日本の超過死亡を表している。一般向けにワクチン接種が本格的に始まった2021年4月頃から超過死亡を示す+マークが急激に増えている。近年の日本の超過死亡においてコロナワクチンは本当に無関係なのだろうか。
「なぜかよく分からないけど凄い数の人が死んでいく」現状に対して特に政治家は無関心であってはいけないと思う。もちろん一般市民も。
【利権】
最後に今まで見てきた1.コロナのそもそもの怖さ、2.ワクチンの効果・危険性 とは別に利権の話もしておく。
ワクチン接種は無料だと思い込んでいる国民が多いけれど実際は私たちが払う税金からその費用が捻出されている。そして接種した医師や医療機関などには報酬が与えられる。ワクチンを打てば打つほど儲かるシステムが実際にあるのだ。当然ワクチンを打つ側にとってはこのコロナ騒動は格好の稼ぎ時。騒ぎを終わらせないためにコロナの恐怖を煽り、ワクチンが命を守るための救世主であるかのように喧伝してきた。こういうことを言うと「陰謀論だ!」「反ワクめ!」とネットでは罵られてきたが、社会にこのような構図があるのでは?と考えることはそんなにおかしなことだろうか。陰謀論と片付けずに一度でもよく考えてほしい。
また、政府はこれまで約8.8億回分のワクチンをワクチンメーカーから購入してその合計額は2兆4036億円にも上る。早い段階で7~8回は全国民が接種する分のコロナワクチンを確保しているのである。当初政府は集団免疫獲得においては2回接種で十分との考えを示していたのにも関わらずだ。「おかしい」と思うのは普通だろう。
そのワクチンも結局は使用期限がきて廃棄せざるを得ない状況に陥っている(これまでの接種回数は約3億8千万回)。ファイザー製のワクチンは当初使用期限が6ヶ月だったのが最終的には15ヶ月にまで延長されている。消費期限を大幅に過ぎた食べ物を食べることは多くの人が躊躇うだろう。しかしそのようなことをコロナワクチンでは平気でやっているのである。
つまり、接種希望者が減っている中で今政府や病院は在庫の処分に必死な状況とも言える。だからワクチン接種の有効性を説き続ける。彼らの立場になればコロナワクチンを悪く言えないのは当然であろう。彼らの思惑に踊らされワクチンを接種してしまってもいいのか、しっかり考えよう。
【まとめ】
ここまでコロナワクチンについて色々書いてきたが、ワクチン接種が始まってから約2年間、これでもかというくらい政府や専門家がワクチン接種を推進してきたので、こちらもこれでもかというくらい批判してみた。
コロナワクチンに関してはそのメリットだけが国民に誇張され続けたが、本来はメリットデメリットを偏りなく伝えた上での社会的なインフォームドコンセントが必須だろう。国を上げての接種となると尚更だ。しかし、コロナワクチンではそれが一切行われなかった。少しでもコロナワクチンについておかしいと言うと批判され、コロナワクチン接種に慎重な人、批判的な人達は追いやられてきた。コロナワクチンを接種しないことによる差別も平然と行われてきた (学校での実習に参加できなかったり、プロテニス選手が大会に参加できなかったり、差別的な言動をとられたり)。
本来ワクチン接種は任意であるのにも関わらず、このような強制に近いことが行われてきた事実から目を背けてはいけないと思う。
最後に、私は「コロナワクチンを絶対に接種するな」とは言わない (子供には絶対に接種してはいけないと思うが)。
でもこれまで紹介してきたような情報を知ることなく接種してしまうと、私のように後になって後悔してもしきれない状況に陥ってしまう可能性が高い。もちろん接種しても何の問題も無かった、なんて可能性も大いにある。しかしそれが将来的に起こり得るリスクを無視する理由にはならない。
特にコロナワクチンの負の側面に関する情報はただ待っているだけでは今の日本では絶対に手に入らない。様々な媒体(新聞、テレビ、YouTubeなど)で情報統制が平然と行われてきてワクチン安全神話が構築されてきたから。そしてその安全神話に異を唱える者は容赦なく社会的に抹殺されてきた。日本は情報開示に割とオープンな方だと思っている人が多いと思うが、残念ながらそれはこのコロナ騒ぎで単なる幻想に過ぎないことが判明した。
今の日本では発信されている情報が本当に正しいのか、信頼できるのか、情報が利権によって操作されていないかしっかり見極めた上で自身の判断を下さなければ一方的に害を被る。
自分を守るのは自分自身。更に、大切な人を守りたいのなら情報をより主体的に獲得しにいかなければならない。そしてその情報を基に自分の頭で考える。今まで日本人に欠如してきたその考えるという行為が何よりも大事だ。
コロナワクチン接種がどれほどのリスクを孕んでいて、どのような背景で行われているのか、少しでも考えるきっかけになれば幸いである。