コロナ騒動の備忘録

思ったことを色々と。主にコロナ騒動について。

ツールと化した感染対策

2019年まで人類は感染症を「正しく恐れる」ことが現在と比べても比較的できていた。極度に高い致死率を有する感染症に対しては効果的なワクチンを接種し、そこまで脅威ではないとされる感染症に対しては基本的な生活の中で免疫力を高めていきましょう、と呼びかけがされて適切に対処してきたと思う。

しかし、2020年になってから状況は一変した。まるでコロナウイルスが恐怖の殺人ウイルスであるかのように感染対策の重要性が叫ばれるようになり、それに従わない者は社会から排除されてきた。「感染対策のため」とさえ言えばどんなに理不尽な事でも他者に強制できた騒動だった。

その中で感染対策というものが今までには無い新たな性質を持つようになった。感染対策には人々をコントロールする力があるという性質だ。多くの世界の権力者たちがその性質に気が付いただろう。「感染対策のためにワクチンを打て」「感染対策のために家に引きこもれ」「感染対策のためにマスクを着けろ」こうやって人々に何かを強制したり、行動を制限することが感染対策の名の下で当たり前に行われてきた。このような状況で得をする一部の人達がいる限りこの”感染症煽り”は終わらないだろう。感染対策はツールへと成り変わったのである。

この視点を持てるか持てないかで人々の今後の主体性が大きく変わってくると思う。「たかが感染対策なんだから素直に従えばいいじゃん」私はこのようなことをネット上や職場などで何度も言われてきたわけだが、このコロナ騒動の本質はそんな浅いものではない。私はどんな社会でも主体性だけは絶対に失わずに生きていきたい。コロナ騒動でそう強く思うようになった。