コロナ騒動の備忘録

思ったことを色々と。主にコロナ騒動について。

高齢者中心に回る社会。子供のことは後回し。

 

コロナ騒動で気が付いたが、この国での子供の扱いが酷すぎる。全くと言っていいほど子供目線で物事が考えられていない社会であるとはっきり言える。

そもそもコロナの感染対策の重要性が何故あれほど叫ばれたのか。感染対策の重要性を力説する者は総じて「お年寄りのため」と主張してきた。高齢者のことを考えるのは悪いことではない。しかし、同時に子供の自由や権利が蔑ろにされてはこなかっただろうか。

高齢者に感染させないために子供が”バイ菌”扱いされている現状には嫌気が差す。

高齢者のためなら子供に不自由を強いても良いのか。マスクを強要され、給食では黙食、修学旅行はオンライン開催となりあらゆる自由が奪われてきた。一方で大人はそんな状況には目もくれず飲み会でどんちゃん騒ぎ。飲み会が悪いと言っているのではない。自分達が良い思いをしていて子供には不自由を強いていることに何も疑問を抱かないその姿勢がおかしいと感じる。

何故日本がこのような高齢者中心の世の中になっているか考えると理由は明確。選挙において年寄りを優遇すれば勝てるから。もし子供のことを本気で考えている政治家ばかりなら感染対策などとうの昔に終わっているだろう。子供の健全な成長にとってマスクの着用、身体接触の制限、学校イベントの中止などは負の要素でしかないから。以前と比べればかなりマシにはなったが、子供への感染対策の強要は日本の政治家達の私利私欲の塊だったと言える。

そして政治家以外の大人達も問題だ。子供にマスクをさせたりワクチンを打たせたりすることをまるで生きる上での最低限のモラルであるかのように強いてきた。そのデメリットを一切考えることなく。そのような大人は一度でもいいから子供にとって感染対策がどのようなマイナスの影響を与えたかを考えなければならない。ここで今まで子供に強いてきた感染対策が間違いであったことを認めなければ同じことがいつかまた起こると思う。

 

また、そもそも「高齢者のため」の感染対策は本当に高齢者のためになっていたのだろうか。高齢者は感染しないよう外に出歩かないようにお願いされ、家に引き篭もった。その結果、フレイルという心身の虚弱化の傾向が見られたという。そう先が長くない高齢者に残された人生の質を考えても感染対策には明確にデメリットがあったと言わざるを得ない。こればかりは各々の死生観の話ではあるが、コロナで死なないことがそんなに大事だろうか。高齢者だって孫に会ったり、地域の色んな行事に参加したりして人生楽しみたいだろう。その当たり前の願望を感染対策を盾にとって何故他人が蔑ろにできるのだろうか。高齢者のためであった感染対策が寧ろ高齢者にとってマイナスの影響しか与えていなかった可能性を感染対策推進派の人々は考えなければならない。