正直な話 5類移行でも不十分
5類移行、色んな制限が緩和されるのは嬉しいのだけどそれでは満足しきれない。
麻疹、クロイツフェルトヤコブ病、梅毒、後天性免疫不全症候群などが5類の感染症として分類されている。そしてインフルエンザも同様に5類だ。
インフルが大流行している時期は律儀にマスクを着けている人は少数派だった。みんなそこまで脅威として感じていないのだろう。
でも毎年のように多くの人がワクチンを打ち続け、それなりに多くの人が感染している。コロナだけではなくインフルでも実は茶番は起きていた。
国はコロナでも同じように定期的なワクチン接種に持っていきたいのかもしれないと考えるのはそこまで不自然ではないと思う。利権。
だから5類ではなく完全に指定感染症から外して無類にする必要がある。茶番を続ける口実を与えてしまわないように。コロナが5類であり続ける限り茶番は完全には終わらないだろう。
コロナ騒動を写真で振り返る
思う存分茶番を感じて下さい。
報道陣は無敵
The「やってる感」
高齢者に残された長くはない人生。それなのにこんな感染対策を強いて誰もおかしいとは思わないの?
コロナで死なないことがそんなに大事?(インフルの方が致死率、重症化率共にコロナより高い)
この3年間はコロナに感染しないことを人生の第一目標に掲げていたと言われてもおかしくない人で溢れかえっていた。
一度しかない人生だよ?
本当可哀想。給食の時のお喋りだって社会性を育む大事な時間でしょ?「栄養接種できたらそれで十分」という趣旨のツイートをしていた教育者がいたけどその人はもう教育者を名乗らない方がいいと思う。
他にも色んな学校行事が中止になっている現状に対して「学校行事が無くなって嬉しい!」みたいな学校の先生のツイートをよく見てきたけど、子供のことを本気で考えていたらそんな事思っていたとしても言わないよね?
教育現場の負担の問題は自分も重々理解している。でもそれはこのコロナ騒動とは別のところで話し合わないといけない。あまりにも時代にそぐわなかったり非効率な慣習はどんどん廃止していって先生の負担を軽減していけば良いと思う。
でもそれ以前に子供にとって何が最善か、まずそれを考えるのが教育者ではないでしょうか?
子供には黙食を強いてきたのに大人はその現状には目もくれず飲み会でどんちゃん騒ぎ。飲み会が悪いと言っているわけではない。自分達だけが良い思いをして子供には不自由を強い続けるその姿勢が問題なんだよ。
自分ならこの国で野球を続けるのがアホらしくなる。
世界的企業トヨタ。2023年、マスク着用自由化以降の写真。
色々ありましたね。ところで効果の検証はしないのでしょうか?
この3年間、至る所で見られた光景。誰もおかしいとは思わなかったのかな?
今は当たり前となった光景。
異常だと思います。
こんなこともありましたね。今見たら誰もがおかしいと思うだろうけどそれほど2020年は人々が集団ヒステリーに飲み込まれていた。
今時の卒アル。大人になってから見返しても誰が誰だか分からなくなるよね。
この国には明確にこういう図式が存在していた。生きづらかった。
怖くない...?
エンターテインメントと化した感染者数の発表
なんでもかんでもコロナのせいにするの止めませんか?別の理由があるならそれを書いてくれたらいいのに。感染対策という名目で色んな不自由を強いることが正当化された3年間。
こんなことに本気にならなくても...笑
この3年間、日本人はどうでもいい事に全力を注いできたよね。この国が経済成長しない理由がよく分かった3年間でもありました。
英語圏差別と言われてもおかしくない。平気でこういうことを発信してきた日本のメディアの質よ。結局日本が世界最多の新規陽性者数を記録したのは笑うしかない。
厳島神社。この画像を初めて見た時すごく残念な気持ちになった。これがお清めになるってとんでもない後付けだよね。こういうことを平気でやっていたら神社としての格が下がってしまうと思う。
先生達はこれに意味があったのか考えよう。
「オンライン修学旅行を楽しむ生徒」
全然楽しそうに見えないのは自分だけでしょうか?
コロナだから仕方ないでは済まされない。「今の学生はコロナで修学旅行も無くなって可哀想だね〜」ってよく聞くけど何故そんなにも他人事なのだろう。自分の卒アルの修学旅行のページがこの写真になる気持ちを考えてあげてほしい。
これまで色んな施設や店にノーマスクで入ってきたけど入店拒否するところもあればこうやってカードをぶら下げれば入店•入館を許可してくれるところもあった。これさえぶら下げていれば入館させてくれるのはありがたいんだけど、自分としては「マスクを着けられません」でははなく「マスクを着けません」と書き換えたかった。
これを見て何も思わない教育者はもうそう名乗らない方がいいと思う。
こんなのおかしいって...
まるで物珍しい生き物でも見つけたようなコメント
これが日本の政治家達のレベルです。
ちなみに猪瀬さんはこのコロナ騒動で自分の中では比較的信頼できる政治家だということが分かりました。
コロナ騒動が終わらなかった原因の一つ。陽性になれば金を貰えるのだから国民は検査を受けまくるし病院や簡易検査所もどんどん儲かる。結局その金だって自分達の払った税金から出ているのだけどね。
勝手に変な文化をこの国に根付かせようとしないで下さい。
殺す気なの?
ここまでやる必要はあったのか...?
近所のタピオカ屋。5類移行後もこれを貼り続けてるけどこの店は一生客にマスク着用を求めるつもり?
「マスクをお持ちでない方は店舗の外から注文をお願いします」
まるで「ノーマスクは汚物」のような扱いですね。
専門家を名乗る人によるとマスクはパンツらしい。人前では絶対に外してはいけないらしい。
タイトル「正義」
怖っ
フルロナって2022年後半から凄い勢いで煽られ始めたけどそれまで専門家とされる人々は「マスクのおかげでインフルの感染はほぼ無くなった」みたいなこと言ってませんでしたっけ?インフルが突然マスクを通り抜けるウイルスに変異したの?
クルーズ船、ダイヤモンドプリンセス号にて
先生も保護者も誰もおかしいとは思わなかったのか?
アルコール消毒に関しては病院での採血や診察時には「アルコール大丈夫ですか?」って丁寧に聞かれるのに病院に入る時は有無を言わせず"お願い"してきた。
年単位で続く「今」
感染対策推奨派の人達は一度でもマスクやアクリル板の大量生産大量廃棄による環境への負荷のことを考えたことはあるのだろうか?
物で釣ってワクチンを打たせる
大切な人のためのワクチン接種。そういうキャンペーンを展開する内にワクチン未接種者は他の人のことを考えない自分勝手な奴ら、という認識が共有されていたよね?ワクチン未接種者は差別の対象になってきたよね?
報道陣は無敵②
ただの風邪では?
だからただの風邪では?
これ意味ありません笑 「人前でマスクを着けないなんてけしからん💢」というクレームを免れるという事においては意味があるかもしれませんね。恐らくイベント主催側がこのマスク着用の仕方を求めているのだろうけど少し考えればおかしいって分かるよね?
心が痛む。せめて子供へのマスク強制は早い段階で止めなければならなかった。子供に優しくない国には未来はないと思う。
コロナ騒ぎを長引かせた尾身さん
意味ないでしょ笑
ソーシャルディスタンス笑
中国もなかなか酷かった。でもその中国よりもコロナ騒ぎが長引いている日本という国。
こういう張り紙があっても何の問題もなく入店、入館できる店や施設は多かった。自分はとりあえずノーマスクで入って何か言われたらその時に退店するなりノーマスクで入館する事の交渉をするなりしていた。
この3年間は音楽という科目が蔑ろにされましたね。本当に子供達のためになっていたと思います?芸術科目は感性を育む大事な科目。受験に関係ないからってこんなことさせてはいけない。
結局アベノマスクを着けている人を一度も見なかったな。壮大な税金のばら撒き。
本当にこういうお店には感謝しかない。何軒か感染対策に批判的な立場であることを公言しているお店に行ったけど、皆とても人間味に溢れていて素晴らしい時間を過ごせた。世間一般では感染対策に反対する者は「頭のおかしい奴ら」というレッテルが貼られてきたけど、こういう人達と話すといかに日本の未来、自由や権利、子供たちのことを考えているか分かると思う。
嘘つき
何で右の2人がマスクを着けないで左の着ぐるみがマスクを着けているんですかね。
あとどうでも良いところに突っ込むけどグランパスくんがシャチであるという設定に忠実になるならマスクを着けるなら頭の上じゃないの?
5類移行が5/8である理由。コロナが脅威のウイルスでないと判断したからでもなく、国民にこれ以上の不自由を強いないためでもなく広島サミットで「記念撮影の時マスク姿では世界に笑われるから」
この3年間ずっとマスクを着けさせられている。いつになったら外してもらえるのだろうね。
飛行機に乗る時は常にこれをCAから見える位置に置かなければいけなかった。まるでノーマスクが犯罪者予備軍かのような扱いですね。
札幌の地下鉄のポスター「入学式からマスクを着用し、学校行事もいくつか中止になり、マスク姿の友達しか見たことがなくてもあなたの過ごした日々は大切な宝物です。卒業おめでとう。」何様のつもり?と言いたい。
何が何でも「ワクチン未接種だと死亡 • 重症化リスクが高くなるんだ!」と言いたいメディア
「マスクを着けていても相手の表情は分かる」
とマスク着用推奨者は常に言ってきたけどこの画像を見るだけでもいかに口が表情を構成する要素として機能しているかが分かる。
特にまだ小さな子供は相手の気持ちを推し量る能力も未成熟。マスクが子供の発達に悪影響を全く与えていないと主張するのはあまりにも浅はかだと思う。
2023/5/9。5類移行後1発目の試合。新庄はいつマスクを外すのでしょう。
日本においてここまでコロナ騒動が長引いた理由がこの一枚に凝縮されていると思う。
5類移行🎉
この国に生きてこれほど生き辛さを感じたことはなかった。コロナ騒動でこの国における同調圧力、相互監視の凄まじさを実感した。感染対策に協力しない者は有無を言わせず排除する。そんな全体主義的な空気が日本全国を包み込んでいた。
そもそもの話、コロナってそんなに怖がる必要のあるウイルスだったか?オミクロン株が主流になり重症化率、致死率共に季節性インフルエンザを下回っている。インフル流行時にここまで厳格な感染対策を取った記憶は無い。
日本人は大事なことを完全に忘れてしまっている。自分達は生き物でありいつか死ぬということ。3年という期間は人生の中で決して短い時間ではないと思う。
特に子供。人生において感染対策と共に過ごした時間の割合は大人に比べて圧倒的に大きい。感染対策の存在しない世界を知らない子供もいる。子供は他者との関わりを密に取りながら成長して感性を身につけていく。その大事な期間に他者との触れ合いを禁じられ、黙食を強いられて周りの人はマスク姿で表情が分からない。将来的に何も問題が無いのならまだいいのだけど、もし成長に著しい問題が日本全国の子供に現れたら誰が責任を取るのだろう。問題が出てからでは遅すぎる。一人一人の人生がかかっているのだから。子供時代の貴重な3年間はもう彼らの元には戻ってこない。もっと日本全体で問題意識を持って考えていかなければならないことだと思う。子供目線で物事を考えられない国に未来は無いと思うから。
2023/5/8 0:00にコロナは「人々を次々と殺していく恐怖の殺人ウイルス」から「ただの風邪ウイルス」に認定されたと言っても過言ではない。でも確実に社会には感染対策の後遺症が残り続ける。正常化にはまだ程遠いけれど分類が変わったことは大きな一歩。これまで色んな制限を強いられてきた分、一度しかない人生を楽しんでいきたい。
後悔していること
このコロナ騒ぎで後悔してもしきれないことがある。それはコロナワクチンを3回も接種したことだ。
自分はマスクを始めとした感染対策には明確におかしいと違和感を抱いてきたが、ワクチンに関しては無頓着すぎた。
そもそもこのコロナワクチンに対して疑念を抱き始めたのが2022年4月頃。
そのきっかけが感染対策への不満を持つ人と繋がりたいと思い始めたTwitterだった。
その界隈では自分と同じ想いや危機感、ストレスを抱いている人達が情報を発信したり、コミュニティを作ってリアルでは言えない愚痴や悩みを共有したりしていた。
その中で当然ワクチンの話題にも触れる人は多く、自発的に情報収集しなければ日常生活では知ることのできなかったワクチンに関する情報が流れてきた。
日本どころか世界中で構築されていた「ワクチン安全神話」、それがこの界隈では一刀両断され、論理的に批判されていた。
彼らのツイートがきっかけで、自分もようやくコロナワクチンがいかに従来の生ワクチンや不活化ワクチンなどと異なるか、そしていかにそれが未知で危険を孕んでいるか理解した。(次の記事でコロナワクチンについて詳しく見ていく)
しかし時既に遅し。コロナワクチンのことを理解する前に追加接種1回目、つまり3回目の接種を終えてしまっていた。
なぜ接種するという決断に至ったのか、それは自分がテレビや新聞などのメディアが発信する情報を疑うことをせず、盲信的になってしまったからだと思う。
また、3回以上打たないと生活のあらゆる場面で不自由を強いられるという噂も頭の隅にあったかもしれない。
そもそもワクチン接種は任意である。そして通常10年はかかる治験が一年もかからず驚異的なスピードで実用化された。危険性という面で見ても、一般の人・有名人問わず強い副反応により、重い後遺症が残ったり、最悪の場合死に至ったりするというニュースが少しずつ耳に入るようになった。
職場でしつこく接種するよう言われていたということもあるが、それでも結局打つという最終的な決断を下したのは紛れもなく自分。言い逃れはできない。
コロナワクチンによる長期的な副反応、後遺症については全くもって未知である。
mRNAワクチンという人類にとって未知で新しいワクチンが今後、私達の体に猛威を振るわないとは限らないのだ。しかしだからと言って悲観的になりすぎる必要はない。
人間の体には恒常性があり、異常があっても元に戻ろうとする性質がある。
今後大切なのはすぐに薬やワクチンに飛びつかず、基本的な生活の中で食、運動、睡眠という当たり前の行動を通して免疫を高めていくことではないだろうか。
今でも自分はコロナワクチンを接種した事に対して自責の念に駆られることがある。しかしもう接種前には戻ることはできない。割り切ることができる日が来るのか分からないが、今回このような教訓を得ることが出来たのは肯定的に捉えて良いだろう。
同じ失敗を繰り返さない。これが何よりも大事だと思う。
また、ワクチン以外にも後悔していることはある。それは、2022年の夏くらいまで周囲の人からの視線を気にして感染対策に関して思っていることを自分の中に留めたり、友人に会う時に忖度マスクを着けていたことだ。
当時は少しでも感染対策に対して批判的な言動をとると叩かれる風潮があった。その世の中の空気に負けて「感染対策に思っていることを打ち明けて嫌われたくない」という気持ちがあったことは否めない。
自身の思っていることを貫くことができなかった。主体的に生きることができず自分の人生を生きていなかった。
この過去を振り返るだけで自分が嫌になる。
これからは主体的に生きたい。
お願いという名の強制
お願い。それは本来なら従うも従わないも自由。感染対策はこのお願いがベースで行われてきたとされている。しかし実態はどうか。
感染対策のお願いに従わなければ店に入店できない、サービスを受けられない、差別の対象となるなどお願いとは全くの別のものだった。
以前、銭湯にてマスク未着用で入館拒否されたので、「お願いですか?それとも義務ですか?」と聞いたらはっきりと「お願いです。」と言われた。じゃあ別に従う必要はないよね。しかしノーマスクの奴らは絶対に通さない、といった強い意志を感じられたしそれをお願いと言うのは無理があった。
「お願い」と表記して実際には強制を行うからトラブルが起こるのである。
極端なことを言うと、マスク着用をお願いと言ったり表記しておいて強制する店や施設は「ノーマスクには人権がありません。マスクを着用していなければ強制退店の措置を取ります」と主張や表記を改める必要があった。そうすることで実態と客に求めていることの整合性がようやく取れる。
しかしそこまでしてノーマスクを社会から排除することに意味があったか考えなければならない。
お願いと言う名の強制によってこの3年間、多くの人達が苦しめられた。お願いという言葉に強い力が宿った期間だったと言える。今後この言葉の使い方には十分に気をつけないといけない。
利用された「陰謀論」
陰謀論。コロナ騒ぎでよく聞くようになった言葉だ。
コロナ騒ぎを続けることで一部の人が儲かる。もちろん、その人達はコロナ騒ぎを終わらせたくはないのでコロナの脅威を煽り、感染対策の有効性を強調する。そういうことを言うと「陰謀論者」のレッテルを貼られ、感染対策に否定的な人達は馬鹿にされ続けた。しかしそうやって疑うことをせず、与えられた情報を鵜呑みにしていて果たして主体性を保って生きることができるのだろうか。
今までマスクの効果を疑ったりコロナワクチンの危険性を訴えたりするだけで「陰謀論者」のレッテルを貼られる場面を何度も見てきたが、この国の人々はある意味陰謀論に依存してしまってはいないだろうか。
分からないこと、自分にとって都合の悪いことは全て「陰謀論」で片付けてしまう。
そんな社会的な風潮がなかっただろうか。
どれだけ活動家達がコロナ騒ぎを終わらせようと必死になっても陰謀論者として見なされ「胡散臭い人々」として見られてしまう。
多くの人に「陰謀論だ」と騒ぐ前に、コロナ騒ぎに対して批判的な人々の主張を一度でもしっかり聞いてみてほしい。(コロナワクチンを打ては皆3年以内に必ず死ぬなど、あまりにも飛躍して論理的でない主張を展開する者は別として)
彼らの方が余程国の未来、本来私達が持っている自由や権利、子供たちのことをよく考えていることが伝わるはずだ。
結局地球環境のことなんてこの国では誰も真剣に考えていないよね
感染対策を推し進めるにあたって考えなければならなかったことが環境負荷である。
毎日マスクを大量生産、大量廃棄して想像できない量のマスクが道端に捨てられ、自然界にばら撒かれている。また、アクリル板やレジの前などの飛沫防止シート、感染対策の注意書きの貼り紙などコロナ騒ぎが無ければ必要のなかった物が大量に作られ、コロナ禍の終焉と共に廃棄されようとしている。この事実に目を向けている環境活動家や専門家は果たしてどのくらいいるのだろうか。彼らは地球環境を保全、保護していく重要性を語りながら自身はマスクを始めとした感染対策に身を捧げている。ここに矛盾を感じてしまう。
環境負荷の話だけではなく、感染対策は経済への打撃、子供の成長の阻害、高齢者のフレイル加速など負の側面ばかりだった。なぜそのような側面に国民は目を向けようとしないのか。いや、目を向けるだけの力がないと言った方がいいかもしれない。
コロナ騒ぎはこの国の国民の考える力の欠如が如実に現れたイベントだった。